(招詞) マタイ7:24:21 / 使徒信条
(賛美) 七日の歩み 罪重荷を除くは 主イエスの血潮 屈するなかれ 御手の中で
(説教) 「ヨブの苦難と信仰」
(聖書) ヨブ2:1~13
みことば
「我々は神から幸いを受けるのだから。災いをも、受けるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。(ヨブ22:14)
ヨブ記1、2章において潔白で正しく、神を畏れ、悪から遠ざかっていたヨブが、突然、とんでもないほど大きな苦難を経験し、その苦難を経験し。その苦難のただ中から驚くべき信仰告白が記されています。サタンは、「ヨブは家庭的にも経済的にもすべての面で恵まれているから、神を信じているだけだ」と神に訴えます。神はヨブの信仰の潔白さを信じ、それを示すためにサタンがヨブを撃つことを許可します。
最初の試練は、立て続きに略奪、殺害、災害によってすべての財産とすべての子どもたちを一瞬に失いました。しかし、ヨブはその苦難の中で、「私は裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほむべきかな」と告白しています。(ヨブ1章)
続いての試練がヨブ自身の全身が悪性の腫物で覆われ、そのあまりにも悲惨な状況を見かねた妻に「神をのろって死になさい」と言われた不信仰への誘いの霊的な戦いでした。この究極の苦しみの中で、もっとも信仰の励ましを必要としている時、最愛の妻からの言葉にヨブは「われわれは神から幸いを受けるのだから災いをも受けるべきではないか」と告白し、すべての事において、彼はそのくちびるをもって罪を犯しませんでした(ヨブ2章)。
今日、ヨブの信仰から私たちが学ぶこととは何でしょうか。
どんな敬虔な信仰者であっても、試練の時があること、それは突然到来し、人のなぜ?を超えた試練です。しかし、神は知られ、神の御手の中にあります。
私たちの信仰は世のご利益信仰?それとも真の神信仰でしょうか?人は誰でも裸で生まれ、裸で帰る存在、主に与えられ、主にお戻しする人生であることをくれぐれも忘れてはなりません。
試練の中で私たちの信仰が試されます。苦難の時こそ私たちの人生であることをくれぐれも忘れてはなりません。今、試練の中にある友よ、苦難の中に輝くヨブの信仰告白を深くかみしめよう。