人生で最も大切なことは

2024年09月29日

(招詞) マタイ6:26~34 主の祈り

(賛美)   叫べ全地よ 惑いの雲消えて(せ454) 鹿のように 神の愛を求める者よ                            

(説教)「人生で最も大切なことは」(下道定身牧師)

(聖書) 列王下15:1~22


みことば

 彼は主の目にかなうことを行い、すべてのことを父アマジヤが行ったように行った。(列王下15:3)

 旧約聖書の歴代誌には南ユダの王たちについて、また、列王記には、南ユダと北イスラエル両国の王たちの事跡が記されています。今週の列王記下15:1~22には、南ユダ王のアザリヤについて、、また北イスラエルの3人の王ゼカリヤ、シャルム、メナヘムについて記されています。今から約2750年も大昔の当時のイスラエルの王に関する聖書の記事が、今日の私たちに語りかけていることとは。

 彼らは王位に就いた年齢も、状況も、彼らが行った事跡も、その王位期間もまちまちでした。そして、聖書は彼らの人生をわずか数行でまとめて残しています。

 それは自分の目、人の目ではなく、主の目にどうであったかが問われ、記され、残されています。私の人生を数行でまとめると、主の目にかなう生き方であったか、あるいは逆に主の目の前に悪を行ったかに要約されるのです。

 たった一度きりの人生で、最後に問われる最も大切なことは何か、それは主の目にどう生きたか、です。何をしたかでも、どれほど大きな成功と結果を残したかでも、人に評価されたかでも、健康で長寿を全うしたかでは断じてありません。

 同時に自分が大切に求めていること、私の信仰姿勢と生き方の姿勢は、自分にとどまらずその家族子孫に、善しにつけ、悪しきにつけて大きな影響を及ぼします。親の生きざま、信仰の先輩たちの信仰姿勢を、後に続く者たちは見て同じ道を歩みます。今日、私が最も大切にしていること、私の一番の関心事、私が今懸命に追い求めていることは何であろうか。

 「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。」(1コリント13:13)