罪の問題、死の問題への福音

2024年08月18日

(招詞)  1テサロニケ4:13~26(抜粋) 主の祈り

(賛美)   イエスにあがなわれて グローリーハレルヤ勝利 天の窓 平和をば愛したもう(聖歌357) 罪人たちのために(聖歌448)                                  

(説教)「罪の問題、死の問題への福音」(下道 定身師)

(聖書) 1コリント15:12~26


みことば

 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまたひとりの人によってこなければならない。(1コリント15:20~21

メッセージ

1人の例外もなくすべての人にとっての共通の、絶対に避けて通ることのできない人生最大の問題であり、同時に最も疎かにされたままの問題が2つあります。その問題とは何でしょうか。1つは罪の問題です。そしてもう1つは死の問題です。

 罪の深刻さは、無意識のうちに犯しそして無自覚であるという点です。他人の罪はしっかり見えますが、自分の罪に関しては見えていないのです。他社の目にあるちりは見えても、自分の目にある梁は見えていないと主は指摘されました(マタイ7:3)。人は誰で、聖霊によらなければ、罪と義とさばきについて目が開かれていないのです(ヨハネ16:8)。自覚がないことは恐ろしいことです。自分に罪意識がまったく無くても、また自分では完全に忘れていたとしても、それで罪が消えて無くなったのではありません。そして聖書には、罪に対する神のさばきがあると明確に警告されると同時に、罪の問題に対する唯一の救いの福音があることが明確に提示されています(ローマ3:10~18、6:23)。

 人は一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることが定まっている(へブル9:27)と聖書は教えます。人生でもっとも確かなことは、人は誰でも一度死ぬということ、死後のさばきがあるということ、くわえて神の賜物としての主イエスキリストによる罪のゆるしと永遠の命があることを教えます。

 人は自分の死の時を知りません。しかしその時は必ず訪れます。その時を決して無関心のまま、備えのないままで迎えてはなりません。全人類を罪と死の呪いから解放し、救いを与えるためにキリストは十字架に架かられ、三日後に復活されました。十字架と復活こそが全人類に与えられた罪と死の問題に対する唯一の福音なのです。