こんな私にさえも、神は

2022年10月02日

(招詞) 詩篇8:1~4 / 使徒信条

(賛美) 主、われを愛す / 主はあなたを守る方 / 輝く御座に

            心にあふれる喜びは

(説教) 「こんな私にさえも、神は」

(聖書) 2サムエル 9:1~13



(みことば)

「あなたは、しもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか」(2サムエル 9:8)


 ダビデは自分の今の恵まれた生活の中で、かつて、自分の命を執拗に追い回したサウル王ではあったが、その息子ヨナタンとの契約を思い起してサウルの家の子孫を探し出して、神の恵みを施そうとしました。その結果、ヨナタンの子で両足の萎えたメセポセテが見いだされました。ダビデが彼に言います。「メセポセテよ、恐れることはない。わたしは、必ずあなたの父サウルの地をみなあなたに返します。また、あなたは常にわたしの食卓で食事をしなさい」と。メセポセテは答えます。「あなたはしもべを何とおぼしめして、死んだ犬のようなわたしを顧みられるのですか」と。

 ダビデのメセポセテに対する愛は、神の私に対する愛と恵みです。つねに神への反逆をくりかえし、その存在を認めす、無視し、抹殺し、葬り去ろうと敵対し続けてきた私を、それでもあきらめずに、今も探し求め、名前を呼び続けてくださるダビデに優れる神の愛を指し示しています。ヨナタンとの契約に勝れる、主イエス・キリストの十字架による救いの驚くべき契約を指し示します。十字架による新しい契約は、私たちが罪のために失った嗣業と神の子の回復を指し示しています。

 メセポセテの告白は、私の告白です。その愛と恵みに驚きつつも、戸惑いつつも、謙遜と信仰をもってその愛と恵みを受け入れます。彼は自分を「死んだ犬のような私」と告白します。それは、恵みを受けるに決してふさわしくない者であることを意味します。自分のどうしようもない罪深さ、弱さ、愚かさを知る者だけが、それと比例して、神の愛の尊さと救いの恵みの深さを実感し体験できるのです。

 ダビデがペリシテ人を撃ち破ることができたのは、彼が主の指示を求め従順したからでした。彼が王となったのも、幾多の戦いに勝利し、ますます大いなる者となっていったのも、「万軍の神、主が彼と共におられた」からでした。彼がそのことを自覚し、つねに主の指示を仰ぎ、その導きに従順した結果でした。

 救いは私のうちになく、主の十字架による新しい契約によるのです。