十字架前夜(最後の晩餐)

2024年03月24日

(招詞)   イザヤ53:3~6 主の祈り

(賛美) 御座におられる 罪深きこの身を 罪と恥に 主は命を与え                                             

(説教)「十字架前夜」(最後の晩餐)

(聖書) マルコ14:22~31

みことば

 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取れ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。イエスはまた言われた、「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」(マルコ14:22~24)

十字架の苦しみと死が刻一刻と迫るその前夜、イエスは弟子たちの前にひざまずいてその汚れた足を洗い、彼らと共に最後の晩餐(聖餐)の時を持たれました。彼らに主の十字架の意味と目的を教えるためでした。

 その日は、かつて小羊の血(命)の犠牲を通して出エジプトできた恵みを記念する過越祭りでした。イエスは、イスラエル人だけでなく全世界のすべての人々に罪のゆるしと救いをもたらすために。自らを過越しの小羊として十字架に架かられることを弟子たちに教えられました。

 最後の晩餐でのパンを通してイエスの御体が十字架で打たれ裂かれること、そのイエスの苦しみと死によって全世界のすべての人にいやしともたされること、また、最後の晩餐での杯を通して、イエスの十字架の血と死によって、罪からのゆるしと解放について教えられました。

 主イエスは最後の晩餐にて十字架の苦しみと目的について、続いて神に祈るために弟子たちと共にオリブ山に向かい、そこで主イエスの復活について語られます。十字架の苦しみの後には必ず勝利の復活が続きます。主にある者は絶対に苦しみでは終わりません。最後は必ず勝利です。福音とは主イエスの十字架と復活です。

 しかし弟子たちは、この期に及んでも十字架の意味も復活についても何もわかってはいませんでした。主を裏切ったのはユダやペテロだけではありませんんでした。彼らが本当に十字架と復活を知ったのは復活の主に個人的に出会ってから、聖霊の息吹に触れられてからでした。