(招詞) 詩篇8:1~4 主の祈り
(賛美) イエスよあなたに 喜びほめ歌おう われらの主 屈するなかれ われらは勝利者
(説教) 「大いなる神の前に」
(聖書) ヨブ9:1~16
みことば
ヨブは答えて言った、「まことにわたしは、そのことのその通りであることを知っている。しかし人はどうして神の前に正しくあり得ようか」。(ヨブ9:1、2)
ヨブ記12章は、ヨブの人となり、苦難、信仰について、そして3章からは彼の友人たちとの対話が記されています。「私の生まれた日は滅び失せよ」(ヨブ3:3)と嘆くヨブの苦しみの中心にあるのは、経済的な祝福を失ったことでも病の苦しみでもありませんでした。七日間も神からの応答がなかったことです。ヨブの信仰の支えは、神との親しい交わりでしたが、この試練にあって、なぜか神は沈黙され、彼は神に見捨てられたように思い、心が乱れていたのです。しかし、ヨブの苦しみの原因を理解できない友人たちは、当時一般的思想であった因果応報に基づき、ヨブの苦しみはヨブの犯した罪にあると推測し、神に対して正しく誠実であるように勧めました。(日々のみことば11月号5P)
友人エリハズは「考えてみよ、誰が罪のないのに滅ぼされた者があるか」(ヨブ4:7)、「私ならば神を求め、私を神に任せる」(ヨブ5:8)、「神に戒められる人は幸いだ」(ヨブ5:17)とのもっともらしい建前論でヨブを苦しめます。また、友人ビルダデは「もし、あなたがきよく正しいなら、神は必ずあなたを」(ヨブ8:6)、「見よ、神は全き人を捨てられない」(ヨブ8:20)と表面的には励ましに見える言葉をもって、実はヨブをさばき苦しめます。
ヨブの答えは「その通りであることを知っている。しかし人はどうして神の前に正しくあり得ようか」(ヨブ9:1,2)でした。どんな人であっても、聖なる神の前に正しくきよい人は一人もいない。また神と争って、千に一つとして勝つことのできる人は一人もいない。神に向かって心かたくなにしたままで本当に成功した人は一人もいない。神は山を移し、山をくつがえすことのできるお方、地を覆い動かすことのできるお方、また神は太陽を、星を、また空を、海を支配しておられ、神がなされることは人の理解を越えた大いなることをなされるお方、神がなされることに人はなぜ?何を?ということはできません。
そのような大いなる神に私ごとき者が呼ばわったとしても、神がお聞きになられるとは到底信じられないことを、神は主イエスを通して私たち信じる者の上になしてくださいました。なんという恵み、なんという感謝でしょう。