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これに聞け
2023年03月05日
(招詞) イザヤ30:19~21 / 使徒信条
(賛美) 主、あなたの御名は 主よあなたを離れて あなたの御声に
わが目を開きて(聖歌195)
(説教) 「これに聞け」
(聖書) マタイ17:1~13
(みことば)
「彼がまだ話し終えないうちに、たちまち輝く雪が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」(マタイ17:5)
イエスさまは、ピリポ・カイザリヤで「ご自身が誰であるか」を示され、「あなたこそ生ける神の子、キリストです」の信仰告白の上に、ご自身の教会をたて挙げられること、同時に教会の権威について宣言されました(マタイ16:13~20)。続いて主ご自身はじめ、主に従う者の道について教えられました。それは栄光の道ではなく多くの苦しみを受ける道、十字架の死と復活の道であることを示されました。主が十字架についているのに、自分は安楽イスに腰かけていては神の栄光にはあずかれません。私たちの信仰に力が出てこないのは、私に近づき、私に手を置き、私の内から悪霊を追い出してくださるイエスに出会っていないからです。
その後、イエスさまはペテロ、ヤコブ、ヨハネを伴い、祈るために高い山に登られました。すると祈りの中で主のみ姿が栄光に変貌され、モーセとエリヤが主と話していたのを見たペテロは、「わたしはここに3つ立てましょう」と言います。すると天からの声が、「これはわたしの愛する子、私の心にかなう者である。これに聞け」と言われます。私たちにとって大切なことは何かをすることではなく、主の言葉に聞くことです。「なくてならないものはひとつです」ベタニヤのマルタとマリヤ(ルカ10:38~42)。
日々いろいろな声が聞こえてきます。ネット上の声、友人の声、サタンの声、自分の肉なる声、この世の価値観、常識の声、否定的な声、罪と死をもたらす声、不信仰の声がその正体を隠してまことしやかに満ちています。サタンこそ最も警戒すべき恐ろしい巧妙な詐欺師です。このような中で主の御声、信仰の声、聖霊の声をどのように聞くことができるでしょうか。
神の声を聞くことは、必ずしも楽しいことはありません。時として恐れて地に倒れ伏す弟子たちに、主ご自身が近づき、手を置き、みことばをもって、個人的に出会ってくださいます。その時、信仰が復活します。人生の岐路に立つ時、迷った時、平安を必要とした時、主の導きと力を必要とする時、失意落胆の時、神は語っておられます。「これに聞け」と。
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