同じ失敗、同じ罪

2020年08月30日

賛美

七日の歩み、ここに守られ
世界中どこででも
あなたはわが盾
いかに汚れたる(聖歌701)

聖書  創世記20:1〜18
説教 「同じ失敗、同じ罪」
下道 定身 牧師



みことば

アブラハムは言った、「この所には神を恐れるということがまったくないので、わたしの妻のゆえに、人々がわたしを殺すと思ったからです。また彼女は、ほんとうにわたしの妹なのです」。(創世記20:11)


緒論

アブラハムは、以前にもエジプトへ疎開の間(12章)妻サラを妹と偽り、激しい疫病がパロとその家に下った。今度は、ゲラルの王アビメレクに同じ虚偽をくりかえし、災いと死をもたらしかけたが、またも彼らを救ったのは神の介入であった。

本論

1.アブラハムの同じ過ち、同じ罪のくりかえし(創世記20:1~5)

人はだれでも同じ過ちをくりかえす、なぜであろうか

彼の罪が、異邦の王アビメレクに、自分に、神の計画に、もたらす恐ろしい影響とは

信仰の父アブラハム、選民イスラエル、使徒パウロの弱さは、私の姿である。主よ!

2.神の、直接的な介入による災いからの守りと救い(創世記20:6~7)

神は異邦の王アビメレクに、夢で警告と理解と指示を与えられた

神の介入はアビメレクを、アブラハムとサラを、全人類を救われた

今日も人が救われ、信仰が正され、守られのは、ご精霊の働きによる。ご聖霊よ!

3.異邦の王アビメレクの謙遜と信仰者アブラハムの高慢(創世記20:8~18)

異邦人の王アビメレクの祝福は、彼の神を恐れる従順さにあった

信仰の父アブラハムの失敗は、彼の思い込みによる高慢さにあった

気づかぬうちに神と人の前に謙虚さを失い、高慢になってはいないだろうか。

結論

あの偉大な信仰の父アブラハムでさえも、同じ過ちをくりかえした。そのつど、彼は神の介入によって救われ、守られた。ましてや、この私の信仰生活のこれまでと今に、どれほどの神の恵みの介入があったことだろうか。