みことば
主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。(エレミヤ29:11)
南ユダ王国はBC597年に2回目のバビロン捕囚を経験し、大きな痛みと嘆きの中にありました。彼らがそんな悲惨と絶望のただ中にあった時、神は預言者エレミヤからの手紙を通して、補修となったユダの民全体、長老、祭司に対する正しいメッセージを伝えられました。神は今日も苦しみと困難の中にあるすべての人を心に留めて語っておられます(エレミヤ29:1~3)。
現実にバビロン捕囚の中にあって、一日でも早くバビロンを離れてあのエルサレムに帰りたい一心で、その日を待ち望んでいたユダの人々にとっては、偽預言者ハナニヤはあと2年でエルサレムに帰れるとユダの民を惑わすが、神はエレミヤを通してその時は70年後であるとお告げます。一番嫌な所、今すぐに脱出したいバビロンに腰を落ち着けて生活し、その地の祝福を祈れと神は言われるのです(エレミヤ29:4~10)。
その理由について、すべての人には神の深い計画があること、神はその計画を片時も忘れずに知っておられること(エレミヤ29:11)、その神からの賜物と召しは変わらないこと(ローマ11:29)です。
すべての出来事は神のご計画、主権の中で起こっていること、意味があること、たとえ今見えることところが、自分の意思や願いとは全く異なっていてもです(イザヤ55:8~9、へブル12:10~11)です。
それは決して災いではないこと、災いの先にあるものに目を向けることです。そのことを通して神は何を教え、どこに導こうとされているのだろうか(ローマ5:1~5、8:28)です。
それは平安を与えるための計画です。それは将来を与える計画です。それは希望を与えるための計画なのです。