神の峻厳と慈愛

2024年08月04日

(招詞)  1ペテロ5:5~7 使徒信条

(賛美)   偉大な神 素晴らしい主を 愛する主よ 歌いつつ歩まん(聖歌498)                                    

(説教)「神の峻厳と慈愛」(下道 定身師)

(聖書) エレミヤ44:24~30


みことば

 「ユダの地へ帰る者はひとりもいない。少数の逃れる者のほかには、帰ってくる者はない」(エレミヤ44:14)

「エジプトの地にいるユダの人々は、つるぎとききんによって滅び絶える。しかし、つるぎを逃れるわずかの者はエジプトの地を出てユダの地に帰る」(エレミヤ44:28)

メッセージ

預言者エレミヤは、真の神から離れて偶像礼拝をやめず、神のことばに聞き従わない民の滅亡が避け得ないことを告げます。「エジプトにいるユダの人々は、ひとり残らず剣と飢饉に襲われて滅びる、しかし剣を逃れてエジプトからユダの国に帰還する者も、ごくわずかではあるがいる」と言うのです。ここに、神の厳粛な峻厳と神の慈愛による希望の光あります。ひとりの例外もなく、すべてのユダ人が完全に滅び失せ去るはずであったにもかかわらず、神は少数の逃れる者、剣を逃れてユダの地に帰るごくわずかの者を残してくださいました。それは実に神の怒りの中にも、神の一方的なあわれみと恵みによるものでした。

日本のクリスチャン人口は、国全体のの人口の1%に遠く及びます。しかしごく少数であったとしても、クリスチャンの存在は日本に対する神の慈愛を証しています。「私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみはつきないからだ」(哀歌3:22)。また「あなたがたが救われたのは、実に恵みにより信仰によるのである。それはあなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない」(エペソ2:8)とあるとおりです。

主イエスが十字架に架かられた時、二人の犯罪人も右と左に十字架に架かりました。その中の犯罪人の一人がその苦しみの中で「今、自分たちは自分の罪の当然の報いを受けているのだ」と告白し、罪なきイエスの名を呼び求めました。その時、彼は天国の約束を主から受け取り、息絶えました。十字架はすべての人(私)の罪に対する神の壮絶なさばきが確実にあることを、同時に、神の慈愛による唯一の救いの道を指し示してします。「神の峻厳と慈愛とを思い見よ」(ローマ11:22)。

今日、十字架に現わされた神の慈愛による救いにあずかりましょう。