王の王なる主の誕生
2021年12月19日

賛美
お生まれだ(2讃美歌117)
いざ歌え(讃美歌108)
いざもろとも(聖歌130)
マリヤに抱かれ
聖書 マタイ2:1~11
説教 「王の王なる主の誕生」
下道 定身 牧師
みことば
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東のほうでその星を見たので、その方を拝みに来ました。」(マタイ2:2)
士師記の最後は「そのころイスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところを行った」(21:25)とあります。真の王を見失った結果、イスラエルは混乱と闇の中で苦しみます。いつの時代も、そして現代も同じです。
ヘンデル作曲のオラトリオ「メサイヤ」はキリスト降誕の預言と誕生、彼の受難と復活、永遠の救いと希望を歌い、キリストこそ全世界のすべての民にとって永遠の「王の王、主の主」と告白し、ハレルヤ!ハレルヤ!アーメン、アーメンと高らかに歌い上げます。
東方からの博士たちは多くの犠牲を払い、遠路2年の年月をかけて真の王の王を熱心に尋ね求め、ついにベツレヘムに導かれてキリストに出会い、非常な喜びいあふれて礼拝を捧げます。彼らは黄金、乳香、没薬を幼子に贈り物として献げます。それは全人類の真の王(主)、人となられた神、全人類の罪のために十字架で死なれるキリストへの献げ物の礼拝でした。これがクリスマスです。クリスマス、それはキリストとミサ(礼拝)の二つの言葉からなっています。すなわち私の王、私の神、私の救い主としてキリストを礼拝することがクリスマスなのです。
キリスト誕生の地ベツレヘムの隣町エルサレムに住むヘロデ王は、自分の王位を死守し、真の王の王なるキリスト殺害計画を立てます。その地の住民も、祭司長も律法学者たちもまた聖書の知識はあったが、真の王の王には無関心であった。
クリスチャンは神を締め出していた自己中心の罪を悔い改め、イエスを主(王)として心の王座にお迎えした者です。しかし人生を王なる神に明け渡したはずですが、いつの間にか自分の目が心の王座を占めてはいないでしょうか。