主イエスさまの平安
招詞 箴言3:1~6
賛美
神の小羊イエスに
主イエスの十字架の血で
御霊は私の心を
世の波風いかに荒れて(聖歌474)
聖書 ヨハネ14:22~31
説教 「主イエスさまの平安」
下道 定身 牧師

みことば
「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな。またおじけるな」。(ヨハネ14:27)
胸が締め付けられる悲しい出来事が世界中で勃発しています。誤った独裁者によるウクライナ人への侵略戦争によって、すでに数万人を超える死傷者が報道され、また数千万人の国内外への避難民が命の危険にさらされています。また狂ったリーダーによる一方的な力による狂った人権侵害、民族戦争、核開発等々が世界に拡がり、歯止めがきかない深刻な時代です。平和とは程遠い現状です。考えてみますと、いつの時代もそうでした。人はみな平和を求め、愛を求めてきました。しかし現実は戦争と憎しみ、殺し合いの歴史でした。他人事でしょうか。真の平和はどこにあるのでしょうか。
主イエスは「世が与える平安」と「主イエスさまの与える平安」について教えられました。私たちはどちらの平安を求めているでしょうか。
世が与える平安とは、また世の多くの人々が求めている平安とな何でしょうか。旧約聖書のソロモン王は世が与えうるすべての富を、権力を、名声を、知恵を、事業の成功を、快楽を求めてすべてを手に入れましたが、「空の空、空の空、一切は空である」と告白しました。彼の人生の結論は「事の帰する所は、すべて神を恐れ、その命令を守ること、これこそがすべての人の本文である」でした。(伝道の書12:13
新約聖書の富める農夫は、大豊作で安心と思った瞬間、その夜彼は死んでしまいました。消えゆく一瞬の平安とは全く異なる主の平安に目を向けましょう。
主が誰でも信じる者に与えてくださる平安とは、
①肉体の死で終わらない、朽ちることのない永遠の神の御国への希望の平安です。(ヨハネ14:1~3)
②「道であり、真理であり命である主イエス」を信じ、委ねる平安です。(ヨハネ14:1~3)
③どんな時でも一人ではなくもう一人の助け主なる聖霊が片時も離れず、私のすべてを知っていてくださり、常の共にいてくださる平安です。(ヨハネ14:16、17)
今日、世が与える平安でなく、主イエスさまの平安に目をむけましょう。