生涯最大の試練(イサクをささげよ)

2020年09月13日

賛美

たたえよ栄光の神の
み言葉なる光のうち(聖歌500)
誰も見たことのないことが
私が悩むときも

聖書  創世記22:1〜24
説教 「生涯最大の試練」(イサクをささげよ)

下道 定身 牧師



みことば

これらの事の後、神はアブラハムを試みて言われた。「アブラハムよ、あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。(創世記22:1~2)


緒論

長い年月をかけ神の約束を祈り、待ち望んでついに与えられた約束の子、そのイサクをささげよとはなんと非情で恐ろしい神?彼をとおして祝福するとの神の約束は?どう考えてもわからない生涯最大の試練に対してみ言葉に学ぼう。

本論

1.生涯最大の神からの試練(創世記22:1~2)

・試練には意味がある。神の試練には必ず解決がある。

神はすべてを知り尽くした上で、すべての解決を備えた上で、

私にはわからなくても、わかっておられる神が言われるのなら、神の言葉に従おう。

2.アブラハムの信仰と従順(創世記22:3~8)

・アブラハムは即刻、朝早く起きて、神のみ声に従順の一歩を踏み出した

・「主が与え、主が取られる時」の信仰と従順。

私の手にあるイサクを神のみ手に信仰をもっておささげしよう。

3.主の山の備えと神のひとり子イエスの十字架(創世記22:9~19)

・試練をとおして従順した者だけが体験できる「アドナイ・エレ」。

・神のひとり子イエスキリストだけが身代わりの小羊として十字架でほふられた。

ささげることは決して失うことではない。神は空の星数、海辺の砂数に増し加えられる。

結論

約束の子イサクは神の恵みと御計画による祝福であり、宝物であった。同時にアブラハムにとって偶像となる危険な罠でもあった。今、私の手にかたく握りしめているイサクとは何であろうか。私のすべてを知りたもう主のみ声に聞き従おう。