強くあれ、雄々しくあれ

2024年04月21日

(招詞)   ヨシュア1:5~7(抜粋) 主の祈り

(賛美)   いざ皆きたりて  さあ主をほめよ 主の愛が今 雄々しくあれ強くあれ ずっと愛されてた                                          

(説教)「強くあれ、雄々しくあれ」

(聖書) 申命記31:14~29

みことば

 「あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てないであろう。」(申命記31:6)

 神は、モーセを通してくり返しイスラエルの民に「唯一の真の神、主を愛し、主の御声に聞き従うならばいのちと祝福をもたらし、もし彼らが心をそむけて主の御声に聞き従わず、他の神々をを拝みこれに仕えるならば、死とのろいをもたらす」と語られますが、彼らは失敗をくり返します。しかしそれでもなお、神はそんな彼らを見放したり見捨てることをせず、なお彼らが再び主に立ち返り、心を尽くし精神を尽くして主の声に聞き従うならば、神は「再び」彼らを回復させてくださると「再び」を強調されます(申命記11:26~30)。神のあわれみを心に刻みましょう。

 そして31章において、神はイスラエルのすべての人に告げられます。「あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、あなたを見捨てられない」(申命記31:6)と。偉大な指導者モーセは年老いて、これ以上ともに先へ進むことをできません。しかし、神は若きリーダーのヨシュアを備えられ、何よりも神なる主ご自身が彼らの先立ちとなられ、ともに歩まれるからと言われるのです。あなたが信頼し、見ているのはモーセ(人)や状況ですか。それとも目に見えない霊的神の約束ですか。

 神はモーセとヨシュアの幕屋に召して、モーセの亡き後、民は神のもとを離れ、その結果、多くの災いと悩みがイスラエルに臨むことがあらかじめ告げられ、さらに約束の地カナンは、なんの問題も戦いもなく与えられる地ではなく、戦い取るべき地であると言うのです。若輩のヨシュアは恐れます。そこで神はヨシュアに「強く、かつ勇ましくあれ。わたしはあなたと共にいる」(申命記31:23)と。これにまされる力強い励まし、約束はありません。この約束は主に召され従うすべてのクリスチャンへの語りかけです。

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