父の約束(聖霊のバプテスマ)

2021年05月16日

賛美

イエスは愛で満たす

今、聖い御霊よ

約束の賜物をば(聖歌562)

注ぎたまえ主よ

聖書 使徒1:1〜11

説教 「父の約束」(聖霊のバプテスマ)

下道 定身 牧師



みことば

彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねて私から聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわちヨハネはfでバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けるであろう」。(使徒1:4、5)


バプテスマのヨハネは、「私は水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるお方」として主を証しし、主ご自身も自ら二つのバプテスマについて教えられ、約束されました。

水のバプテスマとは、洗礼式です。主を信じた人の信仰告白です。古い罪の自分に死んで、新しくキリストと共に生きる(主の十字架と復活に与る)という深い霊的意味があります。全身が水の中に完全に沈み、水に浸されます。

聖霊のバプテスマは、クリスチャンがどっぷりと聖霊に満たされる経験です。救われてから天国までの信仰生活の歩みで、もっとも重要な鍵・言葉は聖霊です。多くの信仰の戦いや自分の肉の弱さと支配に勝利することができる唯一の秘訣は聖霊です。そのお方に自我を明け渡し、聖霊の充しを求めましょう。

主イエスは、人は誰でも水と霊によらなければ、新しく生まれかわることも、神の国に入ることもできないと教えられました。

十字架の死から復活されて天に変えられる前に、最後に弟子に語られた主のメッセージは、「エルサレムにて父の約束すなわち聖霊のバプテスマを待て」でした。彼らが主から遣わされた地へ出て行く前に、まず父の約束の聖霊の約束を待ち望み、受けよ、でした。エルサレムを離れてはなりません。あなたにとってのエルサレムとはどこでしょうか。

私たちにとって、いつまで?どうして?とのわからないことがあふれています。今。私に必要なことは、なぜ?どうして?を求めることではなく、本当に知るべきこと、求むべきことは主の最後に語られた「父の約束」です。「ただ聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、わたしの証人となる」(使徒1:8)