SapporoRainbowChapel
メニュー
ホーム
集会案内
週報
礼拝メッセージ
私たちの教会
お問い合わせ
その他
倒れたら起きよ、離れたら帰れ
2023年07月23日
(招詞) 1ヨハネ1:7~10 主の祈り
(賛美) 聖なる主の前に 十字架のもとへ行こう 傷ついた心に 父なる御神に今帰らん(聖歌404)
(説教) 「倒れたら起きよ、離れたら帰れ」
(聖書) エレミヤ8:4~17
みことば
「人が倒れたならば、また起きあがらないであろうか。離れていったならば、帰ってこないであろうか。それにどうしてこの民は、常にそむいて離れてゆくのか。彼らは偽りを固くとらえて、帰ってくることを拒んでいる」(エレミヤ8:4~5)
選民イスラエルは神に背を向け、道を踏み外し、心は遠く神から離れてしまいました。人は倒れたなら起きあがり、離れたら帰ってきます。それが自然、道理です。しかし、イスラエルは倒れっぱなし、離れっぱなしでした。8章4~5には「帰って来る」を表す「シューブ」というヘブル語が5回も使われているそうです。この言葉は「最初の出発点に戻るために、反対の方向を見る」との意味があり、本来のあるべき方向に向きを変えて帰って来るべきではないか、が強調されています。私たちの人生にもつまずき倒れたり、神から離れたりすることもあります。倒れた時に起き上がるため、離れてしまった時に立ち帰るための秘訣とは。
彼らは、真理から離れ「偽りに固執し、それを固く握りしめて手放さなかった」(エレミヤ8:5)とあるが、偽りとは①自分の肉の思い(考え、価値観、こだわり)であったり、②神から離れた社会一般の、また人々の声や価値観であったり、③さらに、偽りの父であるサタンの霊的惑わしとのことです。
また、「帰ることを拒んでいる」(エレミヤ8:5)とあるが、「拒む」とは、これまでも、今も、何度も起き上がり、また帰るための神の働きかけとそのチャンスがあったのに、かたくなに拒んできたというのです(エレミヤ3:12~14、20、22)。今、私が固く握りしめているものは何?また、主の語りかけに対して私は?
さらに、彼らは自らの過ちを悔い改めることをせず、開き直って「自分の好きな道に向かいます」(エレミヤ8:6)。空の鳥たちでさえもその時を知り、時を守るのにイスラエルは「主の定めを知ろうとしない」(エレミヤ8:7新共同訳)という。渡り鳥は季節に合わせて何千キロも移動するが、時が来れば必ず巣に帰る帰巣本能があります。私たち人間の帰るべき所はどこでしょうか。人が帰るべき所、おるべき神の元から離れて生きる「的外れの生き方」をハマルティア(ギリシャ語)と言い、罪の語源として聖書は教えます。私は今どこにいるでしょうか。主イエスさまは放蕩息子のたとえを通して、人が帰るべき居場所を教えています。
Share
Tweet