主よ従います

2024年06月16日

(招詞)   マタイ16:24~26 主の祈り

(賛美)   なんという喜び あなたの声を求めて 主の御手に委ね 主と主の言葉に(聖歌496)                                         

(説教)「主よ従います」

(聖書)  使徒21:1~16


みことば

 わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しているのだ。(使徒21:13)

 使徒パウロは第3回の伝道旅行の終盤にあたって、さらなる使命に燃えて「今や、私は御霊に迫られてエルサレムに行く。あの都でどんなことが私の身にふりかかってくるか、私にはわからない。ただ聖霊がはっきり告げているのは、投獄と苦難が私を待ち受けていることだ。しかし、私は自分の行程を走り終え。任務を果たし得さえしたら、この命は少しも惜しいとは思わない」(使徒20:22~24)と告白します。

 このような信仰は、旧約聖書のエステル告白の中にも見ることができます。「私は律法に背くことですが、王のもとに行きます。私が死なねばならないのなら死にます」(エステル4:16)と言って、主に従いました。さらに、ダニエル書に登場する3人の若者たちも「たといそうでなくても、私たちはあなたの神々に仕えず、あなたの立てた金の像を拝みません。」(ダニエル3:18)と毅然とした死をも覚悟の上で主に従いました。何よりも、主イエスキリストは十字架前夜、ゲッセマネの園にて「わが父よ、もしできることでしたらどうか・・・しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください。」と父のみこころに従い通されました(マタイ26:36~44)。

 パウロは、エルサレムで待ち受ける投獄と苦難をあらかじめ聖霊によって知らされていました。また、弟子たちも聖霊によってそのことを示され、さらに、預言者アガポによってもリアルに苦難の預言があり、同労者ルカをはじめ、みんながパウロのエルサレム行きを反対しました。パウロは、自分の都合や感情や状況ではなく、また人の同情や声に惑わされることなく、ただ主のみこころ最優先を崩しませんでした。

 主のみこころに従った結果、エステルやダニエル書の3人の若者は奇跡的に命が守られました。一方、パウロと主イエスは預言通りの苦しみを受けます。その覚悟をもって主のみこころに従う者でありたいと願います。