一番大切ないましめ

2024年03月17日

(招詞)   Ⅰヨハネ4:10~12 主の祈り

(賛美)  主イエスを喜ぶことは 主よ私は飢え渇いて イエスの許に イエス愛します イエスが愛したように                                             

(説教)「一番大切ないましめ」

(聖書) マルコ12:28~3

みことば

 イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。(マルコ12:29~31)


 律法学者の一人がイエスに質問しました。彼は律法(法律)の学者であり、専門家でした。当時、ユダヤ人が有していた613もの律法の一つ一つが大切ではあったが、されらの中でも特別な律法の中心、核となる一番大切ないましめとは何か、との的を射た質問でした。

 私たちは、あれもこれも、どれもみな大切に思えて忙しく振り回され、一番大切なことを見失っていないだろうか。最も優先すべきものの敵は第2、3番目の正しい言い訳です。ベタニヤ村のマルタもまたイエスをもてなすために、あれこれ心を配り疲れ果ててしまいました。主は「マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。なくてならぬものは多くはない。いや、一つである」と語られます(ルカ10:41)。私たちの信仰の中心、聖書の中心、福音の中心を一言で言い表すなら?

 主イエスは律法学者の質問に「第一のいましめはこれである。聞け」。それは「神はただひとりの主である。心を、精神を、思いを、力をつくして主なる神を愛せよ」。第二は「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」ときっぱりと明言されました。これがすべての律法の要約であり、すべての人間の本来あるべき姿、しあわせと平安の原点です。

 私たちが、心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、神を愛することはどうしたら可能でしょうか。簡単です。まず神ご自身が私のこと、心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくし、愛された主イエスの十字架の愛の事実を知ることです(1ヨハネ4:7~12、19~21)。一番大事な2つ目(?)の自分を愛するように隣人を愛することも、また、まずこの罪人の私に対する神の愛と赦しに目を向けることから始まります。主イエスの十字架を見上げる時、人は誰でも変えられるのです。