虹の架け橋(とりなし祈る者)となろう

賛美
おお、み神をほめまつれ
わが民がへりくだり
祈れ、ものごと(聖歌256)
愛の光、輝き
聖書 イザヤ59:1〜21
説教 「虹の架け橋(とりなし祈る者)となろう」
下道 定身 牧師
みことば
「主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。」(イザヤ59:1~21)
オリンピックのメダリストが言いました。「このメダルは、自分一人のものではなく、今日まで自分を支え、励ましてくれた多くの人たちのものです」と。オリンピックで敗退した選手が言いました。「ただ感謝しかありません。この舞台に立つことができたのは、支えてくれた人たちのおかげです」と。自分一人の力でなく、メダルへの、また出場への橋渡しをしてくれた多くの人がいました。私たちも、多くの人たちに支えられお世話になっています。
私たちが救われたのも、今ここにあるのも、自分の力ではなく、神の一方的な藍と主イエスの十字架の犠牲をはじめ、多くの方々の橋渡しととりなしがあったからです。人の救いは神の御働きですが、そのために、神は神と人との間の橋渡しとしてのとりなす者を必要とされ、探しておられます。
私たちの教会は、今から67年前(1954年)に宣教師による開拓伝道を通して誕生しました。教会誕生の陰に、誕生から今日まで多くのとりなしがありました。隠れたところでの祈りがあって今日の教会があります。
23年前(1998年)に札幌レインボーチャペルの呼称が導入されました。神が、当教会を召された(神召)の目的は、虹のように天(神)と地(人々)をつなぐ架け橋としての使命、すなわち、①ひとびとのために神への橋渡しとなるため、②人々に神の言葉を伝え、真の信仰と愛と希望の光、感動をもたらすためであると信じます。
神は今日も人を探しておられます。とりなす人をです。イスラエルが滅び失せなかったのは、モーセのとりなしによりました。彼は、破れ口で主の前に立ち、御怒りを引き返して滅びを免れさせた。主イエスは、また御聖霊は、いつも私たちのためにとりましておられます。この私も、国のため、人々のための虹の架け橋となろう。