よみがえりの主、命の主

2022年02月06日

賛美

力ある主の御名を

わたしの望みは

告げよ主に、告げよ今(聖歌423)

御名を掲げて

罪、重荷を除くは(聖歌425)

聖書 ヨハネ11:17~27

説教 「よみがえりの主、命の主」

下道 定身 牧師



みことば

イエスは彼女に言われたm「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。ままた生きていてわたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか。」(ヨハネ11:25)


エルサレム近郊のベタニヤ村のマルタとマリヤの弟ラザロが死に瀕していました。そこで彼女たちはヨルダン川の向こうにいた主イエスに使いを送り、病状を伝えます。しかし、主は即刻ラザロの元に駆けつけず、なお2日、そのおられた場所に滞在された。その間に愛するラザロは死んだ。主は深刻な状況をどこまで理解しておられたのか。知っておられたならば、なぜ主はすぐに行かれなかったのだろうか。


主がベタニヤ村に到着した時、ラザロはすでに死んで墓に葬られて4日も経過していました。出迎えたマルタは、主に「もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう」と言います。怒りと苛立ち、失望と不信の入り混じった告白、同時に、現実を受け止めつつも「今でも」、「今からでも」主への信仰と希望を告白します。


主は終わりの日のよみがえりの希望だけではなく、今のすでに終わってしまったかに思える絶望的な死の状況から、よみがえりの命を与えてくださる「よみがえりの主、命の主」です。死ぬ前ならまだ希望が・・・、しかしラザロは死んだ。もう終わってしまった、万事休すと思える中で主は言われます。

「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて私を信じる者はいつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」と。

たとい死んでも終わりではありません。主を信じる者に必ずよみがえりがあります。また、今生きていて主を信じる者は、決してあきらめてはなりません。死後4日たったラザロを主はよみがえらされました。「もし信じるなら、神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか。」(ヨハネ11:40)